Sunday, March 5, 2017

『永い言い訳』〜人生という他者〜

 わたしは、映画『永い言い訳』は、映画の中の彼らが、人生に対する葛藤を抱えながらも、愛するひとたちとのかかわりの中で自己を見出してゆく、そのような、他者受容の物語であると思った。小説家の幸夫(本木雅弘)はラストシーンで、自身のノートに記した。「人生は、他者だ」と。

©︎「永い言い訳」製作委員会

 ここではおそらく、「人生は、他者(とかかわること)だ」とか、「人生は、(私よりも)他者だ」などと様々な含みを持たせている。そのことだけでも、作品の中で輝くきわめて感動的な言葉だ。しかし、言葉とは不思議なものである。わたしは次のようにさえ考えることができると思った。すなわち、「人生とは、他者である」と。文字通り、人生そのものが、すなわち他者であるのではないかと。‬

 他者を受け入れることは容易ではない。それは、人生という他者を受け入れることだからだ。その努力のうちで、逃げることと向き合うことは、人間において、いつも繊細に反転し続ける。ひとはいつも弱く、そして強い。しかしなお弱い。そのような「依然とした弱さ」がつながりの中にえがきだされることで、不思議とその弱さは、「肯定」という力を帯びていった。