Monday, January 16, 2017

エロティックな映画について

 私にとって、映画をみることとは、生きることだ。生に直結している。なんだかポエムのようになってしまったけれど、最近そんな気がしている。もちろん、映画を言葉によって語る営為もまた楽しい。しかし、最後の最後まで言葉にできないものを含めて、自分の血となり肉となる。それは人生に役に立つという意味では必ずしもなくて、役に立たないもの、不安や葛藤、現実逃避すらをも含む。そういった全体的なものが、映画と自分をつないでいるように思う。
 映画と私とをつなぐ通路として、重要な役割を担っているのは、エロティシズムである。現在公開中のロマンポルノ・リブート・プロジェクトの三作品をみて思ったことは、私にとってエロティックな映画をみることはトラウマの治療なのではないか、ということだ。それは、少なからぬエロティックな光景を目の当たりにすることによって自分の傷を自覚してゆくいとなみなのではないか。しかし私は、強い外的な暴力によって深い外傷を負ったわけではない(たとえばPTSDのような)。私がエロティックな対象にとりわけ興味を抱くことから自己分析を試みると、このように考えることができるのではないか、ということである。


 エロティシズム、とりわけ映画におけるエロティシズムは、私にとって性的な外傷の再体験の場でもあるように思える。単なるセックスとしての性的興奮は一過性のものであるが、映画の映像的エロティシズムはそれが映像であることによって、どこか自分の根本的な外傷の映像的記憶とリンクするのかもしれない。映画のエロティシズムは、みる者の傷をまといながら、永遠性を帯びるのだ。