Saturday, November 5, 2016

『何者』〜肥大する自意識に悩むひとのために〜

 三浦大輔監督の映画、『何者』をみ終えたとき、これは自分のための作品だと思った。この映画は就活がテーマだけれど、就活はひとつの「舞台」にすぎなくて、もっと普遍的な、人間の自意識、虚栄や嫉妬というものに焦点が当てられていたと思う。
 というのも僕は、自分のどんどん肥大化してゆく自意識に悩んでいた。何をするにも恥ずかしい、そんな気持ちだった。こうしてブログで文章を書くのだって、どこか自分をひけらかしているみたいで、恥ずかしかった。自分の素直な気持ちを外に出すことができなかった。そこに「痛さ」を見出していたのだ。そして僕は、他人がこのようなことを平然とやってのけているように見えて、羨ましかった。その「痛さ」に気づいていないように思えた。そう思い込むことで、他人を馬鹿にしていたのだ。そうすることでしか、自分を保てなかったから。
 でも、この映画に登場する人物は、ほとんどみな僕のような気持ちを抱えていた(とりわけ拓人がそうだ)。つまり、僕には「想像力」が欠けていたのだ。僕だけが俯瞰してものごとを見ることができている、僕だけが何か根本的な恥ずかしさに気づいている、僕だけが真に論理的だ、僕だけが倫理的だ…そう思っていた。他人も僕と同じか、もしくはそれ以上の自意識に悩んでいるかもしれなかったのだ。
 しかし、この作品の良いところは、このようなことを悪いことだとして退けていない点だ。つまり、肥大化する自意識を抑圧することは、そのひとの幸福になるのだろうか、いや、ならないだろう。それよりも、ことの善悪よりも、みな多かれ少なかれ自意識を抱えている、もっと言えば、恥ずかしさを抱えて生きている、そのことをひかえめに肯定することが、想像力ではないだろうか。このことを、僕はこの映画に教えられたように思う。
 生きることは「恥ずかしいこと」なのかもしれない。いろんな醜悪なことを考えてしまったりする。でも、そういう自分や他人を俯瞰して見てしまうと、前に進めなくなる。そのときそのときを、素直になって、歩んでゆこう。『何者』は僕にとって最高の気づきでした。