Monday, June 27, 2016

『アンダルシアの犬』

  ルイス・ブニュエル監督の『アンダルシアの犬』を観た。ブニュエルが1928年に画家のダリと協力して制作したショートフィルムである。これはいうまでもなくアンドレ・ブルトンらのシュルレアリスム(超現実主義)運動に影響を受けている。ブルトンの1924年の『シュルレアリスム宣言』ではその理念を以下のように定義している。

超現実主義 男性名詞。心の純粋な自動現象で、それを通じて口頭、記述、その他あらゆる方法を用いて思考の真の働きを表現する方向を目指す。理性による一切の統御を取り除き、審美的または道徳的な一切の配慮の埒外でおこなわれる思考の口述筆記。
(ブルトン『超現実主義宣言』生田耕作訳、中公文庫、p.43)

 この定義を念頭に置くと、この映画をより追体験できるのではないか。 とくに、「理性の一切の統御を取り除き」「審美的または道徳的な一切の配慮の埒外で」おこなわれるという点だ。
 男がうしろから女の眼球をナイフで切断する。眼球から液体があふれでる。脈絡というものを考慮に入れなければ、そこにあるのはまず驚きだ。一瞬のできごとである。たんなる恐怖というのでもなく、たんなる滑稽さでもない。おぞましさとも美しさとも言えないかもしれない。ただただ見入ってしまう光景である。そして、見てしまったが最後。われわれはそのイメージに脳内を席巻されてしまう。
 このイメージに解釈を与えるということは「理性による統御」であろう。そのような理性的解釈を取り除いてみたときに自分はどこへ向かっているのか…。
一般的な映画においては物語や諸々の仕掛けによって隠されている視覚的なものの不思議な力を感じさせられる作品だ。