Saturday, May 28, 2016

美しきエマニュエル・ベアール

 ジャック・リヴェット監督の映画『美しき諍い女』(La Belle Noiseuse、1991)を観た。この作品の見どころは言うまでもなくエマニュエル・ベアールの美しき裸身である。ストーリー展開は僕にとってはあってないようなものであった。長い上に妙に思弁的で気どったセリフが多くてうんざりさせられた。しかし、ベアールの美しさはそれらの欠点を忘れさせた。彼女を視るだけのためにまた観たい。
 僕が映画を観るときの基準のひとつはヌードが映像美としてえがかれているかということである。このような基準で映画を楽しんでいるひとがいるのかはわからないが、映画を楽しむひとつの方法であるように思う。ポルノグラフィは射精という生理的な現象にとってはきわめて有用であるかもしれないが、映像美においては映画に劣ると考えている。もちろんこのことは、ポルノグラフィが映画に絶対的に劣るということを意味しない。すなわちセックスシーンがあるかということは問題にはならない。ちなみにこの作品にはセックスシーンは無い。そしてこの作品は視覚的な映像美としてのヌードが前面に出ていたため、僕にとって嬉しい作品であった。
 ベアールは4時間近くに及ぶこの作品の大部分をヌードで演じている(!)。監督はミシェル・ピコリ演じる画家フレンホーフェルの芸術家としての人間性を強調したかったのかもしれないが、ベアールの強靭な裸体を前にしては芸術論をふりかざすどんなに思弁的なセリフも無力であったと言わざるをえない。